私は…。

・軽い不眠
・いきなり涙
・喉が締め付けられる感覚

これが私の場合の初期症状でごわす。

薬はその場凌ぎのものでしかなく、朝と夜に仕事のピークがある私の職場では長続きしません。
軽かった不眠もどんどん重くなり、呼吸もしんどい。
さらには身体、主に手が震えます。プルプル?いえいえ、ブルブル。
おかげでドリンク作るのもロスタイム。これでまた怒られる。
悪☆循☆環☆

この頃、出来ない自分と周りへのストレスでイライラして壁を殴る、腕に爪を立てる。
という軽い軽い自傷行為をしていきます。
私は痛いのが嫌いです。注射にもガン泣き、暴れて大人を困らせた過去もあります。
それでも痛みがイライラを忘れさせてくれる。冷静になれる手段となっていました。
そしてある日なんとなく手に持っていた顔の毛を剃ったりするガード付きのカミソリ。
これで切ったら痛いのかな・・・。ガードがついているから大して切れませんでしたが、赤くうっすらと血がでました。
この日から爪ではなく刃物、カッターに変わりました。自傷行為については別にまた記事を書きたいので、ここで。
腕は日に日にガーゼで覆われていきました。


心も疲れ、身体も疲れ。

とうとうおじいちゃん先生からドクターストップ。
診断書。
病院帰り、どんな返しをされるのか、、でも身体のライフはもうゼロよっ!!

どんな反応されたと思います?

辞めたら?(自己都合退社)

ですっっ!!!
こんなに会社に尽くしたのに!!!っと当時は思いましたがブラックなので使い捨てだったんだろうな。と思うのと、尽くしたのに!!!は自分で勝手に頑張ったんや。という気持ちが今はある。

とりあえず考えて。と解散。
ここです!!!!
ここで身体の限界、そして心の限界がきます。

次の日、夕方からのシフトでした。

起きれない。
身体の震え、嘔吐感。
あれ?あれ?どうしよう、仕事なのに。。
枕元の携帯(まだスマホ普及してないからガラケー)で何とか職場に電話して休みをもらいました。
電話が終わっても具合はよくなりませんでした。

次の日は早朝からと決まっていて代わりに出てくれる人はいません。
この日のことは未だに鮮明に覚えています。
歩けないのです。真っ直ぐ。視界も定まりません。
私、死ぬんじゃないか!?と生まれて初めて思いました。
壁づたいに歩くなんてドラマみたいなことをして、着替えようとしましたが、こんなの仕事所ではありません。他の早朝の人に伝え休みました。
というか、総合病院に。
結果「胃腸炎
点滴して帰されました。職場にも電話はちゃんとしました。
あんな死にそうだったのにww胃腸炎てww

寮の部屋に戻り、休息。。

誰かの声。そしてノックの音。
目が覚め、這いながら開けます。総務のおじさんとお姉さん。

とりあえず休職の形をとった事を伝えに来たのと、様子見でした。
部屋着は自傷行為をしやすいようにと、半袖だったのですが、傷を見られ、怒られたのを覚えています。

さて。
身体の限界がきても、心で何とか踏ん張っていましたが、心もダメになる。
訪れるは、、、負。

今までもツラかったのですが、ここからが地獄です。
いざ、休職なう☆地獄へようこそ編 が始まります。