何を食べる?食べた?

何を食べて過ごしたか。

これが効きます!!!とかは色んな売られている本に載っていると思うので、、
私は祖母の家にいた時は出された物しか食べてなかったし、1人の時はテキトーだった。
腹に入れば何だって良かったし、考えることすらしてない。

今、ある程度うつとのつきあい方が分かってきて感じてる事で個人的な物を上げていきますね。

まずは主治医に言われてるのを最初に。
根菜類。

今でも言われる。。(笑)
コンビニとかで惣菜があれば選ぶ。もしくは鍋にひたすら入れて適当に味付けすれば数日もちます。
が、夏は傷むのでやらないし、元気な時にしか作らない。


ほいで、個人的に良き。と思うものたち。
カロリーメイ◯みたいな栄養補助食品。

食べるだけで栄養は多少とれる。
素晴らしい!!ただ値段がバラエティーパックのお菓子よりは高いので、、今は働けてるから買えるけど、と思う部分もある。

栄養ドリンク。
これも栄養が。まとめて売ってるやつなら1日の値段が安いのでオススメ。
私は栄養ドリンクの味が嫌いなので量が少なくて、効いてる感じのあるチオビタ◯ールドを愛飲してます。

コンビニorスーパーの惣菜。
美味しいのが多いよね。米さえ炊けばこれでおけまる!ってのが。
私は主治医に言われた根菜類は惣菜が多いかも。手軽なので。


実家にいた時はもう出された物を食べれる分食べました。

あとはほうじ茶とかホットミルクなど温かい飲み物を冬は飲みました。
飲み物は普段グリーンダ◯ラを愛飲しています。


食べれるのを食べる。食べないのが1番やばい。というのが経験上ですので、やれる範囲からやるのをオススメいたします。

 

1人暮らしとうつと私

1人暮らしのうつの過ごし方

メリットは
誰にも何も言われない!!自由!!

これがデカイ。
何をしてもしなくてもよい。自由。
好きなときに好きに出来る。

自分の世界がある。というのが結構よかった。
外の車の通る音などの生活音はありますが、静かに過ごせる。誰もいないからこその自分の世界。
勿論ネガティブになったりとかもしますが、1人でゆっくり自分の世界に入れることは大切でしたね。

デメリットは食べ物、洗濯、風呂がしんどい。
自分でやらないとですからね、その気力がなければ3日とか風呂に入れない(身体が動かない)時とかありました。
食べ物もお菓子で済ませてました(-ω-;)

私の場合でしたが、食は食べるのがめんどくさい。から食べない。
というどちらかと言えば拒食気味でしたので1日にせんべい一つだけ。という日もありました。
食べれたら食べましたが胃の消化に良いものでは無いと寝込んでました(笑)
過食になる人もいるのでこれは人それぞれですね。

お風呂は気分最悪な時でも入ったあとは気持ちよくなれましたから偉大な存在です。
入るまでが大変ですが清潔でいるということは素晴らしいね。


メリット、デメリットが半々なので私は1人になりたい時は借りてた家に。今度は祖父母の家に。を行ったり来たり。
移動は父の車です。
公共交通機関は乗れなかったですね…。
人が無理だったので。


1人暮らしでもやはり心配をかけてますから体調を聞く為に連絡があったりでそこはちょっとしんどかったです。
仕方ないし、ありがたいことなんですが返事をするのが億劫だったりしたので。
1人暮らしは宅配便とかがあったりするとそれを対応しないといけないのもあるからそこもしんどかったかな。


中々に過ごすのは難しいですね。
どっちが正解。とは無いので本当に本人がどう過ごしたいのか。だと思います。

家族とうつと私。

家族と生活する場合のうつの過ごし方


私の場合は祖父母と叔父がいる所に住んだのである意味家族であって家族ではないのですが、、まぁ親族なのでね。一緒(笑)

家族と生活することでのメリット。
先ずは飯!!!!これが一つ。
勝手に(ありがたいと思ってるよ?)出てくるから食生活は安定。
次は風呂。これも入る入らないは別として用意されてる。
あとは洗濯もしてくれるのは本当にありがたい。
清潔なのって本当に良き。でした。

デメリットも勿論あります。
体調とか色々とやいやい言われる。
これね、本当に勘弁してほしかった。。。
「体調どうなの?」とか「ご飯もっと食べなさい」とか「寝てばっかりいないで」とか。。。
止めてけれ…っと思いながらも言い返す気力も無かったので無視してました。

まぁこの頃は寝る。食う。しかしてなかったのでね。仕方ないのですが、先ずはこの寝る、食う。で動くことが出来る様にならないと何にも始まらないんですよ。えぇ。

うつってならないと本当に理解されない。し理解出来ないものだと思うので、仕方ないのですが…。本当に辛かった。
家族が読むうつの本みたいなのでも中々に理解されない。昔の人間の人達だから。というのもあるのかな??と今は。
偏見かなぁ??
でもよく「◯◯が若い頃は~」みたいな話を聞かされたりもしたので。


あとは自分が何もしてない。という罪悪感。ですかね。
私は洗い物をしたりはしましたが所詮そんなもの。
「あぁ、今日も何もせずただ飯を食って邪魔者だなぁ。。」と自分の邪魔者具合を気にしてましたね。
ここに存在している。ということの罪悪感は結構大きかったかも。


メリットがあればデメリットもあるのが当たり前ですが、家族と過ごす場合はこんな感じですね。
家族の理解は本当に大切だと思います。
理解は難しいとは思いますが、今のご時世だと多少はしてもらえるのかなぁ?と。
世代によりましたけどね、私の親族の場合は。

次は1人暮らしでの過ごし方~⊂( ・ω・)⊃

うつで助けられた自立支援と傷病手当て

うつになったら自立支援!!!!!

うつ病になって助けられたのは自立支援と傷病手当て。

自立支援は岩手に戻ってから使うようになった(2年間しか使えないと思っていた)のだが、本当に今でも助けられてる。
働けない間は傷病手当て金に助けられてた。

オタクで給料はどんどん使っていて貯金が無かったので傷病手当てには本当に感謝しかない。
皆、自立支援と傷病手当てはしっかり使おう!!

家族がいる場合と1人暮らしの場合とで生活は変わってくると思う。
私はどちらも経験してるのでそれを書こうと思います。

転職、転職、転職。

最初はここで頑張るぞ!!とやっていたが正社員ではやはり求められるものも多く、帰りのバスに間に合わなくて歩いて帰る。ということや、在庫管理などしんどくなる。
自傷行為の傷を裏で話されていたことも辞める時にきいた。 
正社員は一年で辞めた。

パートで次は探して百貨店の中のカフェにした。
女の店長で厳しかったのを覚えているし、今もこの人は嫌いだ。
このカフェには辞めてから一度も行ってないし行きたいとも思えない。
店長の自分に甘く、他人に厳しいスタイルは鬱になった会社を思い出させる。。
他のスタッフと仲良くなれなかったのもある。
合わない。というのはきつい。

今度は販売?というのか、物を売る職についた。
しかしここでは積極的(しつこいとも言う)にお客に話しかけることと、覚えることが出来ず。
毎日毎日上司に「何で出来ないの?」が負担となる。
行くのが嫌で嫌で仕方がなかった。

ある日を境に腰が痛くて気になるように。
仕事の空いてるときに腰のストレッチをしていたが中々に良くならない。

その日は突然来た。

朝、(あー嫌だな。仕事か。。)と起き上がろうとしたら腰に激痛。
痛いのだ。
起き上がれない。
ぎっくり腰??と思ったが分からない。とりあえず電話で休むことを伝えた。
休めることになった時、痛みが良くなって察した。
精神的に限界がきて、身体が拒否していると。
次の日は丁度なのか、病院の日だった。

腰が痛いのは本当なので(歩くのつらかった)父に車を出してもらった。
先生は休職しなさい。とのこと。
上司に自分で言えなくて父に退職することを伝えてもらった。上司が怖かったのだ。店の前まで来たのだが上司が怖くて泣いたので、父も仕方なく言ってくれた。
申し訳ない。。

ここで半年、休む。
おばあちゃん家だったり、自分の借りてる家だったり。
文無しが故、引っ越すことも出来ないので父が家賃を払ってくれていた。
流石にこの頃の私、仕方ないにしても屑すぎる。。
お父さん本当にありがとう。ありがとうしか言えない。

ここの休む時期。冬。
後々季節も私には関係あったことがわかりました。

春を迎え、何とかまた稼げる位に。
この間も日向ぼっこで過ごしましたよ。

ホテルのバイキングとラウンジのスタッフとして働きました。3ヶ月位。
ここでは仲良くなった人たちもいたのですが、いかんせん上司は・・・だし、ババアが一人姑みたいだし正社員の屑はいるしで酷かった。
仲良くなった人達以外が酷いww

さらっと転職しました。

またカフェ。
でも大元が大きい所で時給も良かったのよ。その時は。

使い勝手のいいフリーターなのでありがたがられたし、頑張ってたしここは意外とそれなりにやれた。
が。
店長が、、、、あの、頭が、、、、

ここでも店長の不満と時給あげるあげるの嘘でバタンキュー。
契約更新の際に上がらないと言われたのでやめた。

次はコーヒーチェーン店。
ここでも出ました!!女の上司(しかも◯森出身。個人的に何でか相性が悪い)
この人がダメで胃を悪くして辞める。

食欲が無くて点滴してもらったレベル。

そして、今。
今のところ半年以上続いてる。

こんな職歴。

自傷行為について

自傷行為リストカットアームカット、レッグカット。色々種類はある。
他にも過剰に爪を切ったり皮を剥いたりなんかも入るらしい。
自傷行為をすれば痕は消えない。だからオススメしない。後悔する人も多いみたいだ。
私は1度も後悔していない。今のところ。これは私が私を生きようとし、忘れてはいけないものだと思っているから。
世間から冷たい反応もあるようだし、本当に軽い気持ちで手を出すのはやめた方がいい。
やめたくてもやめるのに大変だったし、今も時々自分の血を見たくなるという頭がおかしい人になってしまった。

私が仕事を無理に続けていた頃、イライラしては壁を殴り、痛みで冷静になろうとしていた。
腕を引っ掻いたり爪をたてたり。イライラは中々収まらなかった。

自分が嫌で、情けなく、苦しい思いが余計にイライラさせていた。
あの頃、心で「苦しい、辛い。」これの繰り返しだ。
誰にも打ち明けれない、理解してもらえない。
これ程までにしんどいものなのか、、そう思っていた。

ある日、何となく試したことが切っ掛けとなり私はアームカットを繰り返す。
最初は傷は1つしか無かったが、それはどんどんと増えていく。血が出ることの安堵、痛みは辛い、苦しい思いを忘れさせてくれる存在となる。
血が沢山出るのが嬉しかった。痛みが生きている事を教えてくれていた。

やめれたきっかけは無い。これはやはり自分でいいか。となるしか解決法はない。
やるのは自分だ。他人には止めれない。羽交い締めして監視するなら別かもしれないが。
1つとしては、物がないと諦める。ガーゼが無い。や、獲物が無い。など。

今は鬱を隠しているので、仮にやったら制服から見えるのでやろうとは思わない。詮索されるのも面倒だしな。

自傷行為は死にたい気持ちと生きているかの確認で私はしていた。
死にたい、苦しいと思いながら獲物を滑らせ、血を見て生きている。と安堵する。矛盾しているのは分かっている。でもそれが自分を守るものだった。

よく、かまってちゃんとか表現する人もいるが、そうではない人もいる事を知って欲しい。
ネットに上げている人でそう言われるのは仕方がない所もあると思う。

私は田舎に帰ってからは一人の時しか出来なかった。見つかるとやいやい言われるし、見せるものでは無いことは分かっていた。

親にもらった身体だが、自分の身体だ。どうしようともそれは本人の責任となる。
親だって何時までも守ってくれるわけではないのだ。

自傷行為に悩む人がいたら、時を待て。
してしまって、後悔する人がいるなら「あなたが生きようとしたことは否定しないで欲しい」と伝えたい。痕はいいものではないが、消えないものは仕方ない。
遊び半分でやった人は知らん。自己責任だ。

自傷行為を否定しない。オススメもしない。

生まれた土地へ帰る

夜行バスで出発し、早朝に着く。
父は地元から離れた所に転勤になっていたので、おばあちゃん家に住む。
一人で家に住むのは心配だったみたいだ。
まず父の転勤先に電車で二時間。
駅に迎えに来てくれた父とは5、6年ぶりに会っただろうか。老けてはいたが、変わらない少し言葉が少ないあの頃の父だった。
ポツポツと会話したが、あんまり多くを言わず詮索もしないで受け入れてくれた。
情けなくて、情けなくて。そして申し訳なく泣いた。あんなに冷たくしたのに、父は変わらず当たり前のように接してくれた。

一週間かもう少しだろうか、暫くは父の住んでいるアパートにいた。
ひたすら寝ていた。方向音痴だし、そこは何も無いので外に出るのは夕飯を選ぶ時だった。
パンとか食べてた。
父が仕事でいない時に自傷行為をしていた。
父は気づかないわけないのだが、何も言わなかった。ゴミ箱に血のついたガーゼがあっても。

ついにおばあちゃん家にいく。
おばあちゃん達とも実はあんまり良くない別れ方をしていたので、怖かった。ましてやおばあちゃんは母をよく思っていない。当たり前だ。
母方についた私を受け入れてくれるのか、モヤモヤしていて、そして怖かった。

芝生作業だったか、畑の準備だったか忘れたが、二人は庭にいた。
「よくきたなあ~。」にこにこ笑っていた。
どう返していいか分からなくて、「うん。」としか言えなかった気がする。
会えて嬉しいと言われた。「ゆっくりしてけ。」といわれた。
昼過ぎだったし、私は昔からよく食べる子だった。
「メシ食ったか?」と聞かれたがこの時もまだ拒食症気味だったので食欲もなかった。
父が代わりに「食欲落ちて今あんまり食べねくなってら」と言ってくれた。

その日から昔はお泊まりした時に使っていたお座敷が私の部屋となる。
衣食住が守られたこの畳の部屋で約1年過ごす。

食べて、寝て、日向ぼっこをして、病院に行き。
少しずつ少しずつ食欲を取り戻していく。
自傷行為もこの時まだしていた。
鬱にあまり理解を得れていないのでウダウダ言われたりもしていじけたり一人で怒って引きこもったりした。
2日何も食べなかった時、トイレに歩いたら転けたりして、流石に食わないのはあかんな。と学んだ。

叔父に言われる。
「いつまでもそうしてる場合じゃない」
「甘えるな。頼ることと甘えるのは違う」

叔父にもうんざりしてたし、そろそろ一人立ちしろ、といわれ私は仕事を探すことにした。
正社員で。
地元には仕事は無いので、離れた所を探した。
通勤しやすい様に家も探した。

接客しかしてきていないので接客で探した。
レストランでホール係として採用してもらえた。

社員だ。頑張るぞ。意気込んで働いた。